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小澤蘭雪先生より「念の屏風」「御守処扁額」をご奉納頂きました
2021/05/28
善光寺本坊大勧進は、令和3年5月26日、書家・小澤蘭雪先生の揮毫による「念の屏風」「善光寺大勧進御守処扁額」の奉納式を萬善堂にて執り行いました。
来年令和4年が、善光寺御開帳、等順大僧正善光寺入山240年、天明3年浅間山大噴火240回忌の年であることから、前年企画として2曲屏風が奉納されました。
奉納式の導師は、大勧進副住職の栢木寛照大僧正が務めました。
善光寺別当大勧進第80世・等順大僧正(1742~1804)は浅間山大噴火発生後、570人の村人のうち477人が亡くなった群馬県嬬恋村鎌原にて被災者救済に尽力、翌天明4年には善光寺で浅間山大噴火追善大法要を執行し、全被災者1490人の名を記した経木塔婆を授与しました。浅間山大噴火三回忌の天明5年に善光寺本堂で執り行われた御回向が、善光寺本堂における最初の御開帳(居開帳)です。
この屏風には仏教の重要要素である「念」、そして群馬県嬬恋村鎌原で今も唄われる「被災者の夜毎の鳴き声を止めた東叡山の来迎の聖」として「天明の浅間山大噴火」「天明の大飢饉」にて民衆救済に尽力し、念仏に身を捧げて「生き仏」と崇められた善光寺中興の祖・等順大僧正の3つの事績の「念」が込められました。
奉納式では、善光寺長臈・村上光田大僧正が等順大僧正の事績を解説致しました。
〇浅間山大噴火により570人の村人のうち477人が亡くなった群馬県嬬恋村鎌原にて被災者救済に尽力、群馬嬬恋村鎌原の被災地で30日間念仏を唱え、3000人に白米五合と銭50文を施し、翌天明4年には善光寺で浅間山大噴火追善大法要を執行し、全被災者1490人の名を記した経木塔婆を授与した
浅間山大噴火三回忌の天明5年に、等順大僧正が善光寺本堂で執り行われた御回向が、善光寺本堂における御開帳(居開帳)の始まりと伝わっている
〇被災地で融通念仏血脈譜(お血脈)を作成して授与。この「お血脈」を求めて善光寺に参拝客が集まり、古典落語『お血脈』の題材となった
〇寛政9年(1797年)京都の御所にて光格天皇へ三帰戒・十念を授け奉った
小澤蘭雪先生は、群馬県太田市出身、学習院大学大学院を修了され、金泥書きの楷書作品に独自の世界を築かれた柳田泰雲先生(学書院院長)より「蘭雪」の号をいただきました。善光寺近くで生まれ育った小澤蘭雪先生のお母様は、等順大僧正生家第20代当主・坂口圓蔵氏の姪にあたり、善光寺と御縁が深い先生です。
シェイクスピア、源氏物語、平家物語、枕草子、万葉集、ヴェルディオペラなど、東西の古典をテーマにした作品展を長年開催されておられます。
また、イギリス・ハイアムホールでの講座をはじめ、スコットランドの教会や、ウイーン、マレーシア、ウクライナの大使館でもワークショップを開催しており、サウジアラビアではファイサル王子に書を指導されております。
ロシア・モスクワ大学、ウクライナ・キエフ大学など海外の大学で書を通じた日本文化を講義されるなど、国内外で活動をされており、ウイーン日本大使館、ロサンゼルス日本領事館、パリ日本文化会館、英国ハイナムホール、イタリア文化会館(東京)などに作品が展示されております。
栢木寛照大僧正は、仏教はもっと世俗とまみれていかなければならないと語り、お釈迦さまの直弟子である舎利弗と在家弟子である維摩居士による、街中にいると心が散漫になるので山の中で修行をしていたが、人のいない山の中で修行して悟りを開いて、何の人の役に立つのだろうか。我々は世俗の中で悟りを開き、紋々と生きる人々を救うのが仏様の目的だというやり取りをご紹介されました。
「仏教はお坊さんのものだけではない、お坊さんとお寺、仏教は社会と乖離せずに社会と一体とならなくてはならない。世俗の中で悟りを開き、紋々と生きている人たちを救うのが仏様の目的であり、まさしく等順大僧正は世俗にまみれた人々の中で偉業を成し遂げられ、今日の善光寺の礎を築かれました。
私たちは等順大僧正が築かれた礎の上に乗せていただいて、社会の中で皆さまから信頼をされ、参拝者の方に求めてお参りいただくお寺でならなくてはならない。
念ずれば花開くという言葉があるように、この小澤蘭雪先生の揮毫による「念」の屏風、ここで御守をいただくと何かありがたくなる思いがするような御守処の扁額を末永く大勧進の宝物としていきたい。」と述べました。