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ご貫主が群馬県立文書館に視察に行かれました
2023/05/23
善光寺大勧進第104世貫主の栢木寛照大僧正は、群馬県立文書館で開催中の、
「収蔵史料でふり返る上州・群馬の災害・疫病~天明三年浅間焼け災害を中心に~」
を視察しました。
天明3年(1783年)の浅間山大噴火の際、前年に東叡山寛永寺護国院の住職から故郷の善光寺別当大勧進第80世貫主に就任した等順大僧正が、人口570人の
村人のうち477人が亡くなる甚大な被害を受けた群馬県嬬恋村鎌原へ駆けつけ、
30日間念仏を唱え、物資調達に尽力した記録が展示されているためです。
昨年就任した栢木寛照貫主は、今日の善光寺信仰を確立した傑僧・等順大僧正に
よる「民衆救済」の姿を学ぶため、本展示の視察に出向きました。
本展示を企画した群馬県立文書館学芸員・阿部潤氏の説明を聞く栢木寛照貫主
【展示の解説】
「天明三卯年七月八日 浅間焼一件留」(部分)
天明4年(1784)7月に信州善光寺の大勧進貫主の等順が流死人追善回向のために行った施餓鬼供養に際して、被災地に届けた経木塔婆の数を記したものです。
等順は、江戸東叡山寛永寺護国院出身の高僧で、天明3年の浅間焼け直後に
被災地の鎌原村へ入り、30日間にわたり念仏供養や食糧支援などを行ったことでも知られる人物です。浅間焼けでは等順のほかにも各地の僧侶が被災地支援を行ったことが記録されております。
(嬬恋村鎌原忠司家文書)
視察を終えた後、栢木寛照貫主は記者団の囲み取材を受け、
・浅間山大噴火でお亡くなりになった人数は知っていたが、展示されている文書の
細かい記録までは把握していなかった。
・被災者の方々のご苦労と等順大僧正が被災地の現場に駆けつけて、物心両面からどう救済に動いたかよくわかった。
・等順大僧正は今日の「一生に一度は善光寺参り」と言われる善光寺信仰を確立した「善光寺中興の祖」である。落語「お血脈」の由来となった融通念仏血脈譜は被災者に授けるため等順大僧正が考案された御守であり、今日の善光寺本堂での御開帳は浅間山大噴火三回忌の年に等順大僧正が執行した御回向が始まりである。
原点である浅間山大噴火被災者救済に尽力され、社会貢献した姿をお手本にしたい。
と語りました。
本展示は3月4日から始まり、7月9日(日)まで群馬県立文書館(前橋市文京町)で開催されております。