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忍者の縁で貫主と三重大学・山田雄司教授が面会

2023/07/24

令和5年7月16日、忍者研究の第一人者である三重大学人文学部・山田雄司教授が善光寺大勧進を訪れ、栢木寛照貫主と面会しました。

3月4日(土)の新聞に、『忍術秘伝の書 長野松代で発見 「万川集海」 真田宝物館に写本』の記事が掲載、山田雄司教授が、「幕末の兵法家である窪田清音が関わっているのではないかと推測している。」とコメントされていたことによるものです。

甲賀忍者所縁の地で生まれ育った栢木貫主は忍者に関する知識を持っております。

また、栢木貫主の大師匠である第二次世界大戦戦後初の北嶺千日回峰行大行満、叡南祖賢大阿闍梨の本を編纂した山田恭久さんが窪田清音の昆孫(7代子孫)という御縁があり、今回の栢木貫主と山田雄司教授の面会に同席されました。

幕府講武所頭取・窪田清音は、佐久間象山を抜擢した第八代松代藩主・真田幸貫公の師匠で、信州が生んだ幕末の名刀工・源清麿(山浦環)を世に出した人物です。

三千人の弟子には若山勿堂、小栗上野介、戸田忠道、宍戸弥四郎など。孫弟子には

勝海舟、板垣退助、谷干城、佐々木高行、清岡道之助、児島惟謙、土居通夫がいます。

 

写真左から窪田清音昆孫・山田恭久氏、三重大学・山田雄司教授、栢木寛照貫主

栢木寛照貫主は、

「子供の頃から忍者に関する話をいろいろ耳にしていました。忍者がお城で密偵に入ると、3日、4日潜り込んで偵察するから、食べ物も加工し、栄養剤や尿を我慢する薬を作っていたという話をよく聞きました。忍者の里と言われるところには修験行者がいたのですが、実はその人たちの本業は忍者で、武士の時代が終わって忍者を廃業した人たちが、もともと持っていた薬草などの知識を活用して薬を作って生活をした人が多いとよく聞いていました。

実は自分の父親も徴兵されるまで六神丸という薬を作って生活していました。子供の頃に裏山を削って県道を拡げたことがあったのですが、その時に50本ずつ束ねてあった刀が三か所位から出てきたことがありました。何でそういうところに埋めたかわからないのですが。その時代に刀狩りとかがあったのでしょうか。自分もまだ小さかったのでその刀がその後どうなったかはわからないのですが、甲賀に近い忍者の里だから隠されていたのかと周囲の人が言っておりました。忍者がいたことは確かです。

ちなみに善光寺の近くにある戸隠は天台の修験行者の山でしたが、戸隠は忍者的な働きをしたかは関係ないとは思いますけど、忍者は全国的にあったのでしょうか。

また松尾芭蕉は忍者だったという説がありますが。」と山田教授へ質問しました。

山田雄司教授は、

「忍者は戦国にいましたし、江戸時代は各藩にお抱えがいました。松尾芭蕉についてはいろいろ情報収集をしていたという記録がないので、確実なことはいえないです。

忍者で有名な伊賀の出身ですが、修行をしていたと記録は見つかっておりません。

松本に『甲賀隠術極秘』(芥川家文書)という古い忍術書が残っているのですが、

その中に、「修行の第一は儒書・軍書等を数多く読み、何事も博く学ぶこと」だと書かれております。だから忍者は兵学の深い知見も持っていたのです。そのような兵学の視点も念頭に松代に伝来した背景を調べていくと、真田幸貫公が師事した窪田清音にたどり着いて、いろいろ調べたいなと思ったのです。

窪田清音が頭取を務めていた講武所の蔵書が明治になって陸軍の所蔵となり、第二次世界大戦後に進駐軍がその蔵書を撤収して米国へ持っていったので、ワシントンの図書館まで調べに行きました。」と説明されました。

窪田清音昆孫の山田さんは、

「窪田清音は山鹿流だけでなく甲州流、越後流、長沼流の兵学師範も務めています。そして清音を教育した母方祖父の兵学者・黒野義方から孫子も習得しています。

この黒野家は徳川家旗本になる前の武田家家臣時代から兵学の家系で、黒野家の子孫には森電三海軍少将もおります。黒野義方は『孫子講解』を執筆した兵学者で、祖父の孫子本を窪田清音が改訂追記した本が東京大学等の図書館にあります。

つまり、清音は様々な兵学書を比較して読んでおり、忍術本も読んでいたはずです。

窪田清音は8代藩主・真田幸貫公以下松代藩の藩士に田宮流剣術などを指導して、交流が深かったようです。窪田清音の兵学高弟である若山勿堂は、幸貫公が抜擢した佐久間象山と佐藤一斎の塾で一緒だったので親しかったそうです。

また信州出身の名刀工・源清麿は、松代藩の斡旋により窪田家で修行したこともありますから、やはり真田幸貫公と窪田清音の深い関係で伝承したのだと思います。

源清麿についても、過去の俗説が孫引きで引用されて間違った内容が真実のように広まったことが多いようです。」と説明されました。

山田雄司教授は、三重大学に着任して忍者を研究する前は、「怨霊」「祟りと鎮魂」の研究をされて、菅原道真や平将門、崇徳院の怨霊に関する著書を執筆されています。栢木貫主は、桓武天皇と伝教大師最澄上人によって鎮護国家・平安京を護るための意味としての比叡山延暦寺、天海大僧正が江戸を護るために創建した東叡山寛永寺、等順大僧正による天明三年(1783年)浅間山大噴火、天明大飢饉の供養が由来となり、浅間山大噴火三回忌の年である天明五年(1785年)に善光寺本堂で初めて行われた御開帳の歴史と回向柱の意味を説明しながら、先祖崇拝、自然崇拝の思想について山田雄司教授と意見交換しました。

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